ネイズビー Naseby 2004 5 25

 1625年に国王となったチャールズ1世は、
父王ジェームズ以上に、専制政治を強化した。
 そのため、議会は、「権利の請願」を提出し、
「議会の同意がない課税」や、
「法律に基づかない逮捕や投獄」をやめることを、国王に約束させた。
 しかし、これに対し、国王は、結局、議会を解散し、
約11年間、議会を開くことなく、専制政治を行うことになった。
 こうして、王党派と議会派の対立は、深刻なものとなり、
ついに、ある事件を契機に、イギリスは、内乱状態となった。
 議会派の中心であったクロムウェルは、
近代的な軍隊に近い「新型軍」を編成し、
1645年に、「ネイズビーの戦い」で、王党派の軍隊に大勝した。
 1649年には、国王が処刑され、議会派が、共和政を打ち立てた。
これが、ピューリタン革命と呼ばれることになった。

 これは、昔話と思うでしょうか。
しかし、現代にも、「王」がいます。
それは、「独裁者」や「議会を軽視する大統領や首相」のことです。
 「ネイズビーの戦い」を忘れるな。
この戦いは、現代でも続いている。

政治意識 political awareness 2004 1 22
 歴史を振り返れば、このようなことがありました。
1933年、政権を握ったヒトラーは、議会を解散しました。
そして、選挙期間中に、国会放火事件が起きると、
これを、共産党の陰謀(真相は不明です)として、
共産党を弾圧したのです。
 選挙で圧勝したナチス党は、
1933年3月、「全権委任法」を成立させたのです。
 この「全権委任法」とは、
ヒトラーに対し、議会の同意なしで、
自由に、法律を制定する権限を認めるものです。
 現代という時代は、政治意識が、問われている時代なのです。
現代の独裁者は、選挙で選ばれてから、独裁者になっているのです。







































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